日本語教師は食ってけない?そんな噂を検証中。

台湾へ上陸後初。ふざけんじゃねーよ!とブラックな自分が出てきそうな瞬間の記録

 
台湾 イライラ
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だいきせんせい
1984年 佐賀県に生まれる。民間企業、自衛隊、英語教員を経て海外へ。2年間のオーストラリア留学で貯金はほぼゼロ、今は台湾で日本語教師として会話力を身に付けることに焦点を絞り大学、企業、オンライン等フリーで活動中。教材作成、ナレーション、日台交流イベント等多岐にわたって挑戦中。海外生活はアメリカ1年、ジブチ共和国4か月、オーストラリア2年。台湾2年です。人生悩んでるそこのあなた。僕も悩んでます(笑)一緒に道を切り開きませんか!

世界のみなさん おはこんばんちは

台湾で日本語教師のいけだいきです。久々の投稿になってしまいました。台湾の台北市内から新北市へ引っ越しをしたり日本語教師として授業準備に追われたりして、ゆっくりとブログを書く暇がありませんでした。

ようやく、台湾で働く準備が整った。

台湾にきて約1か月。台湾に来たばかりの頃は、来台後2週間も経てば、日本語教師として働けるとばかり思っていた。担当者からも、そういう風に説明を受けていたので、働くまでの間、悠々と台湾生活を満喫していた。しかし、働くためのビザ取得がなかなかスムーズに進まず、台湾にきて40日目にして、ようやく働くことができた。

台湾で働くまでの道のりは、一筋縄ではいかなかった。

台湾の語学学校で、日本語教師として採用された後、突然、担当者Aさんからの連絡が10日以上途絶え、スカイプもつながらず。国際電話で直接会社へ電話をすると、担当者Aさんは長期休暇をとっているとのこと。何も聞かされていないことに驚きつつ、担当者がBさんに交代したものの、Bさんも引継ぎを受けていなかったことに衝撃を受けた。その後、勤務先の語学学校のミスで、申請書類に不備が発覚したのが約1か月前。そして、担当者Bさんから連絡がこないなと思っていると学校側から退職したと聞かされ、担当者がCさんに交代、振り返れば、スムーズにいかないおかげでメンタルはかなり鍛えられている(笑)

台湾の台北市内にある移民局ですったもんだ。

台湾の住人として台湾にいていいですよっていう証明書ARC(慰留証)発行まであと一歩のとこまで来た。これがないと、台湾の銀行口座、携帯、賃貸、何もできない。厳密にいえば、できないこともないようだが、手続きが非常に面倒になる。

 

台北市内にある移民局で、塩対応をされる。

台湾の住人になるべく、完璧に書類を揃え、意気揚々と移民局に行くと、informationで以前やり取りをした女性の姿が。内心「よかった~。彼女が教えてくれたことは全て済ませたし、すぐに終わりそうだな。」と一安心。笑顔で近づくと、以前の彼女とはさん別人かと思うくらい、物凄く不機嫌で対応がかなり冷たい。英語のやりとりをしていても分かる強い口調。あまりの態度の悪さに若干イラっとしたものの、申請さえ終わればいいやと、気持ちを切り替えて提出書類を見せた。

 

台湾滞在に黄色信号点滅?!

私が提出したARC(慰留証、台湾に住む許可)の申請書類に対し、彼女は詳しくチェックせずにこう言った。「This is wrong one, you have to apply it again. First, you have to go to another place to apply the document.」どういうことかというと、申請書類が間違っているから、別の場所に行って申請し直せというのだ。内心、(いやいや、前回、書類を全部確認したのお前やんけ)とブラックいけだいきが出てきそうだったが、時間を無駄にして、台湾で働く時間がまた延びることを恐れ「Ok, could you please tell me the place that I can apply for it?」と言葉にpleaseもcouldも付けてかなり丁寧に、どこで申請し直すのかと確認した。しかし、その場所はどう考えても、前回と全く同じ申請場所。同じ台北市内だが、今いる場所から電車で約40分。しかも前回と全く同じことをやって来いというのだ。

 

台湾でブチ切れそうな私

一旦気持ちを落ち着かせるために、受付を離れ、近くのテーブルに座る。そして一息ついて、会社から発行してもらった書類と、前回「この受付係」に必要だと言われた書類一覧表を照らし合わせた。どう見ても同じだ。これはおかしいと思ったので、もう一度、受付へ。私は深呼吸をし、笑顔で近づき、どう見ても一覧表に記載してあるものを同じではないかと尋ねた。

 

台湾で初めてブチ切れられる。

すると、不機嫌さが爆発したのか女性は「That is not MY fault, YOU did not do that! SO you shoud go there again!」私のせいじゃないでしょ!あなたがやってないんだから!的なことを言われた。私も怒り爆発したい気持ちを抑えつつ「Please let me tell you something, I visited here and talked to you before, and I made sure if I had all documents or not. Then YOU told me I only needed one more document. SO I applied the one you told and brought it JUST RIGHT NOW.」(以前、私はあなたに確認して、足りないとものを準備して、今日きた。)と伝えた。もちろん、口調は穏やかだが、もはや笑顔なし。彼女は「Anyway you havet to go to the place and get one more document. Otherwise, you can get ARC.」(とにかく伝えた場所に行って、書類もらわないとARCもらえないから)と投げやりな回答。

 

勤務先の台湾の語学学校の担当者Cさんに感謝

まだ納得いかない私は、再びテーブルに戻り深呼吸。あーイライライライライライライライイラ。会社に電話をして、これまでの経緯を説明。その間も、彼女が時々煩わしそうにこっちを見ている。会社の担当者は、「それはおかしい。絶対にその書類で間違いないので、彼女に電話を替わってください。」と言われ、彼女のところに行き、上司が話したいということを伝えた。それから3分、中国語なのでさっぱりわからないが、彼女はしかめ面で電話している。話が終わったようで、上司から、「それで大丈夫です。彼女が今から手続きの仕方を教えてくれます。」ということだった。

 

台湾でようやく働ける喜び

彼女をみると、何とも言えない表情をしていた。私は何事もなかったかのように「Where do I have to go with those documents next?」(この書類持ってどこ行けばいいですか)と聞き彼女が何番窓口ですと気まずそうに答えたので、最後に「Dont worry, I dont blame you. Thank you for your help.」(責める気はないので気にしないで。手伝ってくれてありがとう)と伝えその場を去った。帰り際、ようやく台湾で働ける嬉しさの中、彼女と目が合い、申し訳なさそうな笑顔で会釈してくれたので、その日は、なんだかハッピーな1日になった。

 

 

日本にいるときは、納得できないことがあっても、我慢して心にしまい込み、ストレスは溜まり続けることも多かった。しかし、オーストラリアで2年間生活し、間髪入れずに台湾で生活していると、おかしいと思うことに対して我慢をしていたら、前に進んでいけないことに気づく。日々、日本人らしさは失われているが、今のところ、1年後は日本に戻って教師として働きたいので、こんな自分が日本社会に溶け込めるのか若干不安もあるが、とにかく色んなことを吸収して、帰国したい。

 

なにはともあれ、ようやく日本語教師としての生活が始まったので、うれしい。

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1984年 佐賀県に生まれる。民間企業、自衛隊、英語教員を経て海外へ。2年間のオーストラリア留学で貯金はほぼゼロ、今は台湾で日本語教師として会話力を身に付けることに焦点を絞り大学、企業、オンライン等フリーで活動中。教材作成、ナレーション、日台交流イベント等多岐にわたって挑戦中。海外生活はアメリカ1年、ジブチ共和国4か月、オーストラリア2年。台湾2年です。人生悩んでるそこのあなた。僕も悩んでます(笑)一緒に道を切り開きませんか!

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