日本語教師は食ってけない?そんな噂を検証中。

⑤オーストラリアのメルボルンで大学院進学を諦め、台湾で日本語教師をしている理由

2018/09/18
 
オーストラリア 痩せる 節約生活
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だいきせんせい
1984年 佐賀県に生まれる。民間企業、自衛隊、英語教員を経て海外へ。2年間のオーストラリア留学で貯金はほぼゼロ、今は台湾で日本語教師として会話力を身に付けることに焦点を絞り大学、企業、オンライン等フリーで活動中。教材作成、ナレーション、日台交流イベント等多岐にわたって挑戦中。海外生活はアメリカ1年、ジブチ共和国4か月、オーストラリア2年。台湾2年です。人生悩んでるそこのあなた。僕も悩んでます(笑)一緒に道を切り開きませんか!

夢半ばでオーストラリア語学留学が終わりを迎え、次の目標台湾へ

世界のみなさん、おはこんばんちは。

台湾で日本語教師のいけだいき です。

今回がオーストラリアのメルボルンで留学後、台湾に来た経緯の最後。大都市メルボルンで、色々なことにチャレンジしながら、オーストラリア国内でも有数の大学院でTESOLを学ぶという夢へ大きく前進していた。学費を工面するため、レストランのウェイター、内装工事、不動産のお手伝い、そして切り詰めた生活を続けていた。順調に見えた海外生活だったが、ついに大学院を諦めざるを得ない出来事が発生。帰国をいう決断に至るが、ただで起き上がりたくない。そう考えた私は次の目標を台湾にしたのでした。

 

オーストラリアの大学院進学に向けて学業と学費の工面に追われる9か月間

 

学生ビザでオーストラリアへきているので、1週間に働ける時間は制限され、仕事をしていたのは実質20時間だが、それ以外に学費工面のために自分が取り組んだ時間を含めると週に60時間は動き続けていた。

 

それに加え、本業である学業は疎か(おろそか)にできないので、学校へ提出するレポートの準備などは、睡眠時間を削って行う。毎日3時間以下の睡眠。食事に関しては、出費を抑えるために、ほとんどレストランの廃棄弁当を持って帰る。月日が経つのはあっという間で、気が付けばこんな生活が約9か月間続いていた。

大都市メルボルンで、ほんの少し、体調に違和感を感じる。

 

そんなある日、バイトが終わって帰宅しているときのことだった。急に、目の前の風景が揺れているような気がした。例えると、天気のいい日に、船の上から景色を眺めている感じ。なんだかフワフワする。最初は、あまり気にも留めずに歩いていた。だが次第に、左の方から体を引っ張られているような感じがして、まっすぐ歩くことが困難になった。それでも、意識を右前?に集中させれば、まっすぐに歩けたので、自力で帰宅することができた。日本でもオーストラリアでも感じたことがない、初めて感じる歩きにくさだった。少し疲れているのかなと思い、その日は、早めに休むことにした。

 

 

オーストラリアの大学院進学に黄色信号?まっすぐ歩けないどころではない緊急事態

 

次の日、顔がパンパンにむくんでいたけれど、まぁ久々に沢山寝たからだろうと思い、気にせずに学校へ向かった。学校では特に体調も悪くなかったが、帰宅するときに、再び前日と同じことが起こった。今回は最初のそれとは違った。目の前の景色は、飛び跳ねているように上下に揺れる。見ている物が大きくなったり小さくなったり。体のありとあらゆるところから冷や汗が噴き出た。

 

オーストラリアの大都市メルボルンで体調不良と孤独感そこに現れた女神

 

さすがに、これはやばいと思い、そのまま壁にもたれかかるように座り込んだ。座っても揺れは続く。周りにも座っている人がいたせいか、誰からも声をかけられない。なんだか、孤独を感じて少し寂しい気持ちになっていた。そんなとき、「大丈夫?」と声をかけてくれたきれいな女性。私が働いているレストランに、よく足を運んでくれるお客さんだった。遠くから、様子を見ていたらしく、わざわざお水を買ってくれていた。病院にいくかと聞かれたが、大丈夫だと伝えて歩き始めたけれど、やはり歩けず、結局、その女性が車で家まで送ってくれた。女神にしか見えなかった笑。車内のいい匂いで体調が悪いながらも、幸せな瞬間だった(笑)。

 

 

体調不良はなかなか快方に向かわず、ついに病院で検査

 

その日を境に、何度も同じような体の異常が起こった。そして、昼夜問わず、心臓の鼓動が不規則に乱れることが増えていった。症状があまりに長く続くので、出費を避けるため、行かないようにしていた、メルボルン市内にある病院へいくことにした。お医者さんに、体に起こった異常を伝え、血液検査などをしてもらった。数日後、結果を聞くために再び病院へいくと、色々と数値の説明をされて、異常値がいくつかみつかった。結論としては、過労と偏食での栄養不足が原因だろうということだった。特にホルモンバランスがかなり乱れているようで、しばらく安静にするように言われた。

 

体調不良で受診した病院での検査結果に納得。オーストラリア留学前の日常生活を思い出してみた。

 

そりゃそうだ。オーストラリアに出発する前、日本にいるときの私は健康志向で、グリーンスムージーをつくったり、生野菜は一切ドレッシングをかけずに食べる。週に3回は、筋トレやランニングを欠かさず行っていた。ハーフマラソン大会なんかにも出ていた。お酒もたしなむ程度で、たばこは吸わない。体の変化には敏感で、異常を感じたら、整形外科内科、敗者など定期的に行くようにしていた。そんな私が、オーストラリアのメルボルンでは日本と真逆、不健康極まりない生活をしているのだから、体に異常がでても不思議じゃない。メルボルンへ来た最初の1年間は、ある程度健康的な生活だった。郊外にあるマーケットで新鮮なお肉、野菜、果物を買い、自炊をしながら生活。しかし、その後、メルボルン市内の専門学校から入学をキャンセルされ、大学院を目指すことにしてからは、学費を工面するため、かなり節制した生活を続けていた。

オーストラリアの大学院進学に方向転換後の節約生活を振り返る。

メルボルンはコーヒーがすごく有名な街だが、コーヒー4ドル(約300円)さえ出し惜しむような生活をしていた。食事の大半は、バイト先の廃棄するお弁当を持ち帰る。廃棄がでないときは、なるべくおなかが減らないように、家にこもって一日2食や1食にしたこともあった。院なんてお金がもったいないと行かなくなった。病気のときは、贅沢をして、野菜や果物を沢山買って食べた。オーストラリアでは、マンゴーが特に好きで、病気のときは必ず食べていた。体調を崩す頻度も増え、突発的に40度近い高熱がでることもあった。

マンゴー メルボルン 体調管理

オーストラリアのメルボルンで体調を崩したときに必ずたべるフルーツ

 

 

そして顔にはたくさんの吹き出物ができた。治りも遅く、紫外線の強いオーストラリアでは、ニキビ跡が消えにくく、留学を終えた今でもいくつか残っている。私にとっては、当時を振り返るいい思い出の痕跡なので、悪くはないなと思っているが、オーストラリアの紫外線のせいで体にできる痕跡は本当になかなか治らなかった。

メルボルン 紫外線 吹き出物

オーストラリアのメルボルンで体調管理が難しく、よくニキビができていた。

 

 

そんなこんなで人生初めて、突然のメマイで倒れたり、まっすぐ歩けなくなったり、終いには、心臓が苦しくなり、目の前が真っ暗になったり。体が悲鳴をあげていた。オーストラリアにきて私の体重は67キロから55キロになっていた。オーストラリアに行く前はピッタリサイズだったジーンズが、こんなにもゆるゆるに。

オーストラリア 痩せる 節約生活

メルボルンの大学院の学費工面で動き回った結果12キロ痩せました。

 

 

オーストラリアへ来た最初の目的といまの自分の目的を比較してみた。

 

ある日、1日中のんびりする日ができた。久々に気分転換をしようと思い、メルボルン市内の行きつけのカフェへ向かった。私はカフェラテを飲みながら、自分のオーストラリアでの生活を振り返ってみた。自分がオーストラリアにきた最初の目的はなんだったのだろう。

 

「英語をのばすこと」

「様々な価値観や文化にふれること」

 

 

なぜなら

 

 

「英語の力をつけ、自信をもつため」

「帰国後に教員として、子供たちがわくわくする話を持って帰るため」

 

 

いま自分がオーストラリアにいる目的は何だろう。

 

 

「大学院にいくこと」

 

なぜなら

「英語の力をつけて自信をもつため」

「オーストラリアの有名大学院を卒業すれば箔がつくから」

 

オーストラリア留学当初と今の自分の目標のぶれに違和感。ついに大学院進学を諦めることを決意

オーストラリアの大学院進学を目標にしている自分の目標に違和感を感じた。メルボルンへ来た頃の自分とは違う自分。自信をもって英語を使えることが目標だったのに、大学をどうやったら卒業できるかばかり考えている。前の私は、新しい発見のたびに、「これはきっと子供たちに話すネタになる」とか「こういう考え、価値観は日本で子供たちの役にたつぞ」そんなことばかり考えていた。それなのに、今は、「世界トップ100に入る世界でも有数の大学を卒業できれば箔(はく)がつく。」そんなことを考えるように考えていた。

 

 

自分にしか聞こえない声でこう言ったのをはっきり覚えている。

 

 

 

「   やめた。 」

 

 

あんなに必死だった9ヶ月。久々にゆっくりできたこの日、本当に一瞬、メルボルンのカフェの隅で、トラムの音、賑やかな店内の音、人々の言葉。全部一瞬、時間が止まったみたいに聞こえなくなった。

 

お世話になったエージェントの方へ、大学院進学を辞退することを伝え、心が楽になる。

カフェを出て、お世話になっていた留学エージェントの方のところへいき、一旦諦めることを伝えると「頑張りすぎだよ。」と一言。追い込みすぎていたことを心配してくださっていた。やろうと思えばまだできるかもしれないと思う自分が少なからずいたので、ずっと近くで見てくださっていた方にそう言ってもらえると、心が楽になった。

メルボルン きれいな道路

オーストラリアメルボルンに留学中、奇跡のショット「黄金の道路」から勇気をもらう。

 

昔の自分は、「諦め」=「逃げ」という気持ちになり、自己嫌悪だった。けれど、「諦め」=「諦め」でそれ以上でも以下でもない。何も自分を責めることはない。人生終わったわけじゃない。可能性があれば、またそのときやればいい。

 

 

オーストラリア留学から、台湾で日本語教師になることを決意した理由

ここからが、ようやくなぜ台湾で日本語教師になったかという核の部分。

もう引っ張りません。今から話します。

オーストラリアのメルボルンで、大学院進学を諦めたとはいえ、ただでは起き上がりたくないと考えた。大学院に行くと決心したとき、36歳までに教師として日本で働くという計画を立てた。その計画までまだ2年間あるのだから、何か新しい経験を日本へ持って帰りたいと。そう思い立った私は、インターネットで海外転職サイトをいくつか探し、そこに英語と日本語の履歴書を登録した。アジアのいくつかの教育関係の企業からオファーをいただき、台湾の語学学校で日本語教師として働くことを選んだ。なぜ台湾か。単純にオーストラリアで出会った台湾人と波長があうと感じたから。一番、自分が自分らしくいることができた。私は、仕事も遊びも人との繋がりがあれば、なんだって楽しめる。逆に深く関われる人がいなければ、好きな趣味さえも楽しめずに疲れてしまう。そのため、どうせチャレンジするなら、自分が大好きだと思える国にで、その国の人たちのために働いてみようと。

オーストラリアから帰国後の他人からの言葉。2年間の語学留学で、自分の成長を実感。

 

英語教員になりたいなら、教員採用試験の勉強しないのか聞かれることが多々あり、さらに、その年でまだそんなとやってるのかと笑われることもあった。そんな時、自分の心の持ちようが、メルボルンへ2年間留学する前と後では違っていた。留学前だと「うるさいな」と反発しつつ、「確かに自分は何をやってんだろう」と不安になり、自分の意思がぶれていた気がする。それに比べ、今の自分は「うるせー(笑)」と笑顔。ぶれない芯が育ったかなと思える今日この頃。大学院進学の学費を工面する方法は色々ある。奨学金に申し込むとかクラウドファンディングを立ち上げてみるとか。学費の安い学校に変えても良かったかもしれない。だけど、自分が選択したことに悔いはない。30代まだまだ価値観の成長は止まらない。

 

オーストラリアで成長できたことをしっかりと台湾で生かしたい。

オーストラリア、メルボルンの生活で一番強く実感したことは、年齢は全く関係ない。努力次第で、掴む掴めないは別にして、いくらでもチャンスを引き寄せることができる。貧しければ貧しいほど、どん欲になれる自分にも気づくことができた。自分を誰よりも信用してもらうために、感謝を忘れず本気の心で誠実に行動した。その結果、色々な人たちとつながり、沢山の可能性が広がり、周りのいろんな人がサポートしてくれる。台湾でもオーストラリアでの経験を活かし、関わる人達すべてに誠意を尽くし、色々なことに挑戦して成長していきたいと感じている。

いけだいき 感謝 留学

オーストラリア留学前、中学担任をしていた時に生徒が書いたもの。「ありがとうございます」「むくわれる」が漢字に隠れている。

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だいきせんせい
1984年 佐賀県に生まれる。民間企業、自衛隊、英語教員を経て海外へ。2年間のオーストラリア留学で貯金はほぼゼロ、今は台湾で日本語教師として会話力を身に付けることに焦点を絞り大学、企業、オンライン等フリーで活動中。教材作成、ナレーション、日台交流イベント等多岐にわたって挑戦中。海外生活はアメリカ1年、ジブチ共和国4か月、オーストラリア2年。台湾2年です。人生悩んでるそこのあなた。僕も悩んでます(笑)一緒に道を切り開きませんか!

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