日本語教師は食ってけない?そんな噂を検証中。

詳しいプロフィール

 
  2018/08/31

Name:いけだ だいき
佐賀県出身 1984年生まれ

 

仕事

民間企業、自衛隊、

中学校英語教員をそれぞれ3年

 

 

海外経験

アメリカ(1年)

オーストラリア(2年)

アフリカ(4か月)

2018年8月から

台湾で日本語教師生活始動

 

すき 得意
家でゴロゴロ、英会話、教える、映画鑑賞、運動、作り笑顔

 

きらい 不得意
上から目線、大勢の見知らぬ人、

道案内、にんじん

 

 

いけだいきの歴史

 

小さいころ

幼い頃の口ぐせは、「アイヤッコ~」

いまだに誰も意味が分からない。

 

 

小学校

ガラスを割ったり、蛍光灯を割ったり

悪気はないが本当に落ち着きがない性格。

両親や先生たちに、

よく怒られていた記憶がある。

 

得意だったことは、作文や読書感想文。

1~6年生まで、必ず入賞以上。

別に本を読むことが好きでもない。

どちらかというと親から怒られ、

半ばいやいや書いていた。

 

小学校4年生からは、別の町へ引っ越す。

陸上部に入り、6年生の頃、

100メートルの全国大会に出場。

なんて輝かしい小学生時代。

 

おそらく、この6年間で、

全ての才能を使い切った。

 

 

中学校

Jリーグが始まり、陸上部からサッカー部へ。

当時、プレーステーションで

爆発的な人気を誇った

ウィニングイレブンに熱中する日々。

 

世界中のサッカー選手の名前を言い合う

っていう謎の遊びも流行る。

 

中学校1年生の頃、

英語の授業がさっぱり分からず、大嫌いに。

 

2年生で英語の先生が変わると、

良く分からないけど、授業が楽しくなり、

少しずつ英語が好きになる。

 

「あ~英語話せたら格好いいだろうな~。」と思う。

 

教科書の英文には、

すべてフリガナを振らないと読めない。

 

なのに、何を思ったか、

英語に特化した高校を受験。

 

当時を振り返ると、

「推薦でいけるし、早く受験終われる~」

っていう安易な考えもあり。

 

暗黒の時代への幕が開く。

 

 

高校

英語がさっぱりわからない。

他の教科もさっぱりわからない。

高校で学んだことは何一つ記憶にない。

 

サッカー部に入り、

チームメイトからの投票で

チームの主将になるが、

 

その後、やる気が空回り。

 

チームをまとめることができず、孤立。

 

学校生活も徐々につまらないものへ。

 

強いストレスから、

学校に行くと腹痛吐き気に襲われる。

 

1日3錠のビオフェルミンや正露丸を

1回10錠ほど飲む生活が続く。

 

2年生の夏休み、

半ば無理やり

オーストラリアへホームスティ。

 

興味はなかったが、

英語専門の学科にいたため、

半強制的に渡豪。

 

興味ないことが嘘のように、

オーストラリアでの生活を満喫。

 

当時、通っていた地区の

サッカー部にも入り活躍、

地元の新聞にものったらしい。

 

英語を話すことへの憧れが再燃。

しかし、高校英語の記憶は皆無。

 

 

大学

またまた半ば無理やり大学へ。

 

高校で押さえつけられていた

何かが自分の中で爆発。

 

サッカー部を立ち上げ、

ここでは高校の失敗を生かして

立派な部として成長。

 

けど、

しくないことは絶対にしない。

そんな変なスタンスで

バイトや飲み会に明け暮れる日々。

 

気がつけば、

英語はDOかDOES、

どっちを使えばいいのかも忘れる。

 

3年になり

「俺ってなにもないぞ?」と気づく。

 

気づいただけで、まだまだ意思の弱さの塊。

 

漠然と「学び続けた英語を生かさねば!!」

そう思っていると一筋の光が。

 

「俺みたいな英語ダメダメ人間が

英語できるようになれば

きっと誰かの役に立つぞ!

そうだ先生になろう!」

 

そして、教員免許を取り始める。

 

それと同時に、両親に頭を下げ、

アメリカに留学させてもらう。

 

初めて自分の意思で行動した

「教員免許」「海外留学」。

 

 

この二つの経験が、

その後の自分の人生に深く関わり続ける。

 

 

教員免許

通信講座などで取得できるが

当時の自分は情報収集能力が乏しく

科目等履修生という大学の制度を使い

卒業後も授業を受け続ける。

 

免許が取れたのが24才。

 

 

留学

当初のレベルは

「Does it make sence?(意味わかった?)」

と言われても

その英語の意味が分からず。

 

出会ったアメリカ人たちに救われ、

さまざまなことにチャレンジ。

 

アメリカ人5人とシェアハウス。

ストリートチルドレンのための奉仕活動

教会で英語でスピーチ

 

一番の思い出は、

アメリカ人と二人三脚で

国際交流会を立ち上げ

 

帰国後も引き継がれ巨大な会に成長。

 

当時は、

自分が大きなことを成し遂げたという

情けない錯覚に陥っていたが、

 

数年後に

周りの支えあっての成功だと気づく。

遅いよ、傲慢な自分。。。

 

 

仕事

教員免許を取得中だったこともあり、

民間企業(人材派遣)でパートとして働く。

 

仕事内容は、

量販店での家電製品の接客販売、

地域密着型のイベントディレクター、

イベント会場の設営撤去、

着ぐるみやヒーローのかぶりもの、

トンネル貫通式、地鎮祭などなど

多岐にわたってとり組む。

 

夢中になりすぎて、

教員という目標にブレが生じる。

 

 

教員免許を取得したころ、

周りは就職しているのに

自分はまだ宙ぶらりん。

 

焦りと、早く落ち着きたいという思いから

教員になるという道を逸れ始める。

 

 

結果、海上自衛隊に入隊。

 

 

自衛官として働く友人から誘われる。

 

海外派遣、安定、福利厚生、有給多、

これらに惹かれ、

教員という夢から鞍替え。

 

自分の意思の弱さに

引き目を感じ始める。

 

その結果、

 

入隊後、約半年間の訓練は

妥協なく自分をバッキバキに追い込み

優秀メダル受賞

 

 

しかしここで

完璧主義という

良くも悪くも新しい価値観を

手に入れる。

 

 

部隊に配属後、

理想と現実に悩む最中、

アフリカへの派遣が認められ、

 

約4か月間のアフリカ生活が始まる。

 

多くは語れないが、

あまりにも心が疲れてしまい、

帰国後、心のバランスが崩れる。

 

自分の過去を振り返り、

したいことをしよう、

そう思い退職。

 

 

ようやく

 

ようやく

 

中学校教員としての生活がスタート。

幸せを感じる。

これで生きていこう。

そして英語力がメキメキと上がる。

 

 

英語力と新しい価値観を求め

オーストラリア留学を決意。

 

当初の予定は18か月で帰国予定。

すったもんだで2年経過。

(いずれブログにかきます)

 

 

そして、現在ここ台湾。え?なんで?

気になる人は

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登録してください笑

 

 

約30年間の人生を振り返ると、

迷いに迷ってを

逃げに逃げて

自分をとことん追い込んで

自分をボロクソに責めて。

 

だけど

振り返った時、

その道はたくさんの方向に広がっていて。

その分、

人に優しくなれる自分に

成長している気がする

今日このごろ。(笑)

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